重要文化的景観 高島市 海津・西浜・知内の水辺景観

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「海津・西浜・知内の水辺景観」の特徴

この地域は、琵琶湖をはじめとする河川や内湖、湖岸の石積みや共同井戸、漁港や砂浜の周辺など、古くから続いてきた水とともに生きる生活が息づいています。
自然的には豪雪地帯であるとともに、季節風による風や波の影響を強く受けることがあげられ、このことが家屋に風除けとなる垣や板戸を用い、湖岸には石積みが築かれるなどの独特の生活景観を形成してきた理由の一つとなっています。
また、湖辺や内湖(沼)では、全国でも珍しい植物や湿地性の稀少植物を見ることができ、さらに、県内有数のアユ・ビワマスの遡上河川である知内川では、これらの魚を漁獲するため、ヤナ漁をはじめとする独特の漁法が発達していることも注目されます。
歴史的には、日本海から琵琶湖を経て京都・大阪に向かう湖上・陸上交通網の結節点として、古くから多くの人や荷物が行き交い、とくに江戸時代は西近江路(北国海道)の宿場・港町として繁栄した地域で、近代には、石灰産業や蒸気船の港としても発展しました。
一方、アユ漁を中心とした漁業の拠点として、伝統的漁法や水産物の加工業が発達し、現在にいたっています。
このように、宿場町・港町・漁村としての繁栄は、現在も地域で行われている華やかな春まつり(力士祭り)や街道の面影、多数の寺院やお堂とそれに関わる民俗行事などに伝えられています。

◆海津・西浜の石積み◆

海津・西浜の湖岸に役1.2kmにわたって続く、高さ2.5m前後の石積みは、西浜村の記録によると、元禄15年(1702)にたびたび大波があり、家屋や街道が被害をうけたことをきっかけに、代官西与一左衛門の人力によって築造されたといいます。また別の記録によると、海津の石積みはこのころにはすでに築かれていたとされ、江戸時代中期には、ほぼ現在に残る海津・西浜の石積みの景観が完成していたものと思われます。
石材は、母岩から割りとった比較的大型の石を部分的に成形して使われており、種類は大部分が花崗岩、一部に流紋岩系、石灰岩などが見られます。
加工技術は古い時代のものと新しいものが混在しており、この石積みは波風除けという性格上からも、たびたび回収されてきたことがうかがわれます。

◆重要景観構成要素◆

重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」では、その景観を構成する重要な要素として、海津・西浜の石積みのほか、海津漁業協同組合旧倉庫、知内川漁業者組合旧倉庫と江戸時代に建造された町屋5件を定めています。

街道の面影が残る海津のまちなみ 海津漁業協同組合旧倉庫

◆”琵琶湖とともに生きる”「海津・西浜・知内の水辺景観」◆

水辺の暮らしを示す”橋板” 人々の暮らしと琵琶湖をつなぐ小路”ツジ”
現在は少なくなりましたが、浜辺には「橋板」と呼ばれる桟橋が架けられ、そこでは、洗濯をしたり、水を汲んだり、子どもが遊ぶ姿などが見られ、地域特有の文化として引き継がれています。 街道沿いの民家と民家の間には、琵琶湖に向かって2~3棟おきに、琵琶湖と各家を結ぶ「ツジ」と呼ばれる小路があり、人々はここを通って琵琶湖の水を利用してきました。
石積み・ツジ・琵琶湖の断面イメージ図
地域のつながりを育んできた”水場” 昔ながらの伝統的な”漁法”
この地域は、湧き水が豊富な地域でもあり、多様な水環境がみられます。水の利用は「「琵琶湖」だけではなく、「イケ」と呼ばれる水場や、「共同井戸」「屋敷井戸」「川」「内湖・沼」等で行われてきました。 湖岸で行われる地引き網漁やオイサデ網漁、また琵琶湖のエリ漁や知内川のヤナ漁等、地域の生業として行われ、伝えられてきた昔ながらの漁法は、琵琶湖や川とともに生きてきた人々の暮らしを映す貴重な文化的景観です。
湖岸に続く”砂浜と松林” 海津大崎の”桜並木”
湖岸の松林は、人家や田畑の防風林として、また魚類の魚付き林として、明治の末期から地元の人々によって植林され、人々の生活と密着しながら保護されてきました。 昭和11年に大崎トンネルの完成を記念して植樹されたもので、「日本のさくら名所100選」に選ばれています。
高島市 海津・西浜・知内の水辺景観マップ

※上記地図をクリックすると「高島市 海津・西浜・知内の水辺景観」マップ(PDF)が新しいページで開きます。

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